Individual Philosophy

「正しい生き方」への答え ~人の正解を探す習性~

生き方に正解はない

2022年の前半、生き方に途方もなく悩んだ時期があった。

人生の方向性、仕事、趣味、夢、やりたいことなど、考えがまとまらず、とにかく頭の中が発散していた。

1日でも早く生き方を決めたい。

なんとか前に進みたいと必死だった。

そんな中、その状況を解決する手段として、まずは情報収集を始めた。

具体的には本を読み始めた。

仕事術、適職、勉強、健康、心理学、性格診断など、色んな領域の本、それも何十冊も。

けれど、答えは見つからなかった。

その次は、旅に出た。

まだ人生で行ったことのない北海道、四国、九州の各都市を訪れた。

そこで見たのは、自分と同じく現代を生きる人々が日常を過ごす姿だった。

どの都市でも多少の方言はあるものの日本語が通じるし、色んな年代の人と会話を楽しむことができた。

しかし、各地へ旅に出ても、人と会話をしても、自分が欲しい「正しい生き方」の答えは見つからなかった。

旅から帰った後も、日々を過ごしながら考え続けていた。

「正しい生き方」。

失敗しない人生の方向性。

そしてある日、考え続けた末にようやく一つの答えにたどり着いた。

それこそが、

「生き方に正解はない」だった。

今まで、生き方に正解があると“なぜか“思い込んでいた。

恐らく原因は、幼少期から答えのある問題を解き続けた学校教育の影響ではないかと思った。

『1+1=2』これは正しい。悩まずに答えられる。

一方で、

『人×人生=解なし⇒ ∞』なのだと思う。

「息を吸って、ご飯を食べて、寝る」

つまり、生きる。

これ以外に、重要なことがあるのだろうか?

生きる以外の時間・活動は、全て娯楽なのではないか?

そこに現代では、仕事、役職、学歴、偏差値、住む土地、住居、お金、結婚、人間関係、SNS、情報、他人の目、承認欲求、プライド、所有、年齢、継続の有無など、複雑に絡まり過ぎていると思う。

もはや、人が処理できる許容値を超えている気がする。

人は生まれたとき、誰しもが裸で何も持っていなかった。

けれど、歳を重ねる毎に、持ち物が無限大に増えていく。

手放せないないモノや関係性が増えていく。

そして、自由から遠のいていく。

時間の概念についても改めて考えていた。

仮に丸一日、公園のベンチで座って過ごしても、仕事で街中を走り回っても、家の中で寝ていても、過ぎていく時間は同じ24時間と変わらない。

つまり、人は1日の中で本来は何をしても良いのだと思う。

ただ、ひとつだけ制約があるとすると、それは「自分の寿命まで」は。

人生は有限である。

人の全員の人生に、始まりと終わりがある。

地球に自分一人だけ生きていると仮定した時、自分が楽しめそうなことを見つけて、まずはやってみる。

自分が楽しければ、それで良い。

人目や他人の意見は気にしないこと。

もしかすると、やってみたいことは世間のレールから外れることになるかもしれない。

でももし、”世間のレールの方が正しくない”としたら・・・?

”世間のレールが正しいという思い込み”だったとしたら・・・?

「あなたはやってみたいことはありますか?いま、生きている間に」

「やりたいことがなくても問題ない。なぜなら人は”生きる”だけでいい存在だから」

生き方に正解はない。あなたが楽しいなら、それでいい

おわり

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